休学中ですブログ

大学を休んでいる間、サボらないための日記

愛すべき分かりやすい人々

素直な人が好きだ。

 

にこやかに笑ってたのに、内線が入った瞬間舌打ちするお姉さんとか、

 

少し踏み込んだ気持ちを吐露したら、露骨に安心した顔をする研究者とか、

 

SNSの投稿が分かりやすく増減する寂しがり屋とか、

 

すれ違いざまにめちゃくちゃ顔を見てくるお兄さんとか、

 

感情を隠して接されるくらいなら、不愉快でも露骨な方が安心する。

 

うまいこと回っているように見える社会の皮を一枚剥がすと、人間の不条理な感情がごろごろと転がっている。そういう、指の隙間から見えるホラー映画の薄暗い光、みたいなものに惹かれる。原因はなんとなく分かっている。また書こうと思う。

電車の窓の歪んだ像

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 これは妙だなという質問に遭遇した。

 

 鏡に映るあなたは歪んで見えますかという質問で、まあ心理テストのようなものだ。しかし、自分で歪みを自覚できたら、それはもはや歪みではないのでは、という疑問が拭えない。思わずその場で逆質問してしまった「歪みって自分で気がつかないから歪みじゃないんですか?!」 それを聞いてきたお姉さんを苦笑させてしまったことだけ反省している。

 

 何事もその渦中にいるときは気がつかない、という話が私は大好きで、何度も語ってしまう。これは数少ない世の真実だという気もする。歪みは特性の別名であり、本来ならばそれはただの現象だ。そこに意味づけをするのは人間であり、その際には多分な偏見が挟まることが多い。

 

 今日も地下鉄の窓に映る自分を見て暗い気持ちになる。私の鼻は低い。私の目は小さい。私の顔は丸い。ここがもう少しこうなら、ああなら。窓に貼られた広告の中で微笑むモデルと比較しては、深くため息をつきたくなる。

 

 しかし、考えてみると、鼻が低いのも目が小さいのも、それはただの造形であり、本来そこに優劣はないはずだ。誰がそこに意味づけをしたのか?一体私は何と比較しているのだろう?

 

 まあそんな簡単に開き直れないのが世の常である。しかし一度でも、自分でも気がついていなかったコンプレックスに気がつくと、それはもはやコンプレックスではなくなる。いや、それに苦しめられるのはあまり変わらないが、それは無知の知とでもいうべきものになる。だから、真の意味での歪みは決して自覚されない。地下鉄の窓に映るモンスターは、ほんとうの姿だ。あなたにとっては。

深い海の長い沈黙

f:id:tretretretre:20190508215513j:plain やればできる論者と非常に相性が悪い。

 

 日頃そういった人を避けて暮らしているのだが、どうしても関わらなければいけない事態は発生する。それは大体仕事の場面なので、さらによろしくない。

 

 人が教えてくれたことに対して返事をしなければならない。「これは、こうするんやで」はい、が言えない。なぜならその人はもし私が少しでも間違えれば、嫌味を言うことを知っているから。何も言われたくない。私のことは放っておいてくれ。完璧になんてできないんだから。努力しても。むしろ頑張れば頑張るほどポンコツになる私を、あなたはきっと理解できないだろう。

 

 

 あなたは私に仕事を続けて欲しくなかったと言う。私もそう思うので、黙り込む。返事をしろと怒られる。そりゃそうだ、私が悪い。分かっている。発声をコントロールできない人間が、こんな場所で働くべきではない。全く合理的だ。そう思っていながらも、私の我儘だと分かっていても、お金と自己実現の場所は必要だった。できないと決めつけていた接客をしている、お客さんに笑顔で話しかけられる、それに応えられる。全部夢のようだった。死ぬ気で頑張ったが吃音が完治しない事実に絶望して、それでも人と関わることが好きだから、時折ひどく吃っても気にしないメンタルを身につけて続けてきた。

 

 ある種の人にはこの努力が見えない。-4を-1にするような、泣きながら血豆を潰しながら穴を埋めてきた努力を、まだ凹んでるから頑張れ、と平気で言い放つ。なぜなら彼らはそれをしてきたから。しかし彼らにはそもそも穴が空いていないか、僅かな凹みしかなかったのに。

 

 こんな愚痴をいつまでも続けても仕方がない。明らかに向いていないと分かっていても、何かをやるべき時はあるし、やらなければいけない時がある。それはもう腹を括って飛び込むしかない。そこから無事に帰還できるかは運だが、長い沈黙ののちに深い海から還ってきたあなたは勇敢だ。誰がなんと言おうと。

無題4

この子はほんとうに強情で。ある母親が言う

彼女の後ろには女の子。母親の言葉に反応せず、じっと前を向いている

私は知っている。その子は内側で泣いていること

家に帰り布団に入り、暗闇の中一人になってようやく、実際に涙を流すこと

そのぐじゅぐじゅとした傷口が、中学生になっても、高校生になっても、ふとした瞬間に血を流し始めること

傷が癒えることはない。君はそれに一生苦しめられる

しかしいつか君の傷跡に気がついて、黙って包帯を渡してくれる人がきっと現れる。私はそれも知っている

だから君の傷はそのままでいい

だらだらと血を流しながら、顔を上げていればいい

Easy listening music と June moon song

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 音楽を聞くのもやるのも好きだ。だけど新しいバンドを開拓したり、自分のお気に入りのインディーズを見つけるとかいうことには無頓着だ。それは真の音楽好きではないのではないかと悶々としていたのだが、最近やっと自分の中で納得いく説明が見つかった。

 

 私は音そのものを楽しめれば満足なので、新しい音楽技法への興味が薄い。極論を言えば、鳥のさえずりでも、太鼓の音でも、鼓膜が震えさえすれば構わない。音は波動である。波は空気中を伝わり、体を震わせる。それが心地いい。なので、イージーリスニングミュージックで十分だし、ジューンムーンソングで何ら問題ない。一部のコアな音楽好きに怒られそうな意見だが、一定の真実でもあると思う。

爪を塗る

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 マニキュアを塗るのが好きだ。

 

 実のところ、日常生活で自分を女だと思うことがあまりない。なんとなく、少年のようだと思って過ごしている。しかし、ドラッグストアに寄ったとき、使いもしないマニキュアを買い集めている自分を発見すると、私にもそんな一面があったのね、と思う。

 照れくさいとか、そういう話ではない。自分が自認しているジェンダーの話である。

 

 日頃私は男でも女でもない、中性的な気分で暮らしている。好みの男性にときめく事もあるが、好みの女性を見つけてドキドキする時も、もちろんある。そんな自分は一体なんなのだろーと考えるが、私は私だよ、という結論にしかならない。当たり前だが。

 

 近代は二元論の時代だった。これからはその領域がなくなり溶け合っていく。そう落合陽一が言っていた。彼の発言を信じる信じないはおいておいて、周りを見て自分の頭で考えてみると、確かにそう変わりつつあるなあ、と感じる。変化の時代だ。境目がなくなり、あらゆるジャンルが溶け合っていく。性別も例外ではないだろう。

 

 その変化についていけなかったり、変化を許せない人ももちろんいる。年上の人と話していて、セクハラとしか思えない価値観にうわあと思うときもある。所詮他人なので、そういう人にやいやい言いはしない。だが、自分は、男なのに爪を塗るなんてと言う大人にはならないぞと決意を新たにした。