休学中ですブログ

大学を休んでいる間、サボらないための日記

横に座ってくれたひと

 

 久しぶりに重松清の『きよしこ』を読んでいた。この本は、私にとってある種のトラウマだ。とても好きな作品であることは間違いない。しかし、読んでいると昔の記憶が次々と蘇り、辛くなって泣いてしまう。初めて読んだ小六の時から何一つ成長していない。同じ部屋の、同じ勉強机に座り、ぼろぼろ泣きながら小説を読む自分は情けないなあ、と思う。

 

 重松清も吃音を持っている。だからこそのリアリティ。言葉が、脳内に深く突き刺さってくる。そこからは血が流れる。かさぶたになりきっていない心の傷がめくられる。歪にえぐれた傷口が目に見える。私にとっては、何一つ比喩ではない。

 

 そんな時、横に座ってくれた先生のことを思い出す。

 

 小六の時、友達がいなかった。休み時間に話す人がいなかった。話しかけたくても、声が出なかった。どうやって「私もそれやりたい」と言えばいいのか分からなかった。

 黙って席に座っていた。いつもは我慢していたが、その時だけ無性に寂しくて、目の前で追いかけっこをしている同級生を見ながら、涙がでた。

 その時、先生が横に座ってくれた。何も言わず、休み時間が終わるまで、ただ隣にいてくれた。

 背の高い先生だった。その人の授業は面白くて、生徒からの人気も高かった。中学生の時に、その先生は校長になったと聞いた。今はどうされているのだろう。

 

 個人的に、学校と吃音の相性は悪いと思っている。大体、吃音に対するまっとうな配慮をしてもらえた記憶がない。だから、学校が苦手だった。しかし、そんな先生もいたのだ。その休み時間の数分間のことはよく思い出す。あの無言の優しさをもらった経験は、私にとってとても良かったと思う。