分かりやすい物語
フィクションに分かりやすさは必要なのだろうか。
解釈の余地がある作品、ひねった作品がよりいいものだと信じていた。しかし、めちゃくちゃ王道な、ひねりのないストーリに感動して泣いている人たちを見て、いい作品ってなんなんだろう…と思わずにはいられなかった。
多くの人に評価される作品がつまらないとは思わない。ファンやアンチを超えて評価される作品があることも知っている。しかし、大衆的漫画が決して秀逸な作品ではないという例もある。
中学の国語の先生が言っていたことをよく思い出す。「つまらない物語はないんや!好きな物語と嫌いな物語があるだけや!」要は受け取り手の問題である。
ただ、武井壮が言っていたように、いいものは多くの人から求められるものだとすると、やはり分かりやすく感動できて多人数に求められる作品が良いものだ、ということになるのだろう。なんとなく釈然としないが、資本主義の世界では結局そういう結論になる。釈然としない感が残った。