休学中ですブログ

大学を休んでいる間、サボらないための日記

ほんとうに好きだったもの、あるいは適性について

 17歳の時分に建築をやろうと思った。

 受験を見据えた時に、大学でものを作れそうな分野がそれだけだったからだ。

 

 ものづくりや創作は好きだった。絵でも文章でもなんでもやった。

 だけど一番好きなのは、完成されたものを愛でることだったかもしれない。多くの人の手を経て世に出されたものの美しい表面を撫でて、自分なりのストーリーをそこに見出すことだったかもしれない。

 

 To know everything

 Face front and look outside (全てを知りたいのならば もっと表面だけを見て)

 

 あるいは手を動かす中で生まれる、最後には捨てられてしまうものが好きだった。絵の具で汚れた版画版や、彫刻刀の先から生まれる削りカスが好きだった。普段からは一変した姿で、表面を抉られているために良い香りがした。捨てるのが勿体無いぐらい、私にとっては魅力的だった。特にお気に入りだったのは、針金をペンチで細かく切るとできる星のようなクズたち。それをたくさん作って筆箱に入れていた。

 

 そういう小学生の頃から持っている感覚を忘れていた。この歳になっても、自分のことが一番分からない。

 

 長らくものを作りたいと思っていたが、結局は素材の感触や匂い、加工するときの手応えが好きだったのだ。今でも削るために切り出した木のブロックや、3Dプリンタで出力されたプラスチックの塊を一番綺麗だと思う。そのままでいいんじゃない?とも思う。

 

 なぜ自分がそのような偏愛を持つようになったのかは分からない。理由が見当たらないからこそ、それは生まれもった特性に近いのだと思う。そういうものが、Callingに繋がるのかもしれない、いや繋がれ、と思う。

 

BGM東京事変『ハンサム過ぎて』