休学中ですブログ

大学を休んでいる間、サボらないための日記

これを書きながらフレディの背中が浮かんだ

 先日、年齢や性別で人を判断している自分に気がつき、少し落ち込んだ。というのは、私は常々フラットな人間でありたいと願っているからだ。しかし、ある社会の中で生まれ育った以上、思考の偏りからは逃れられない。そもそも、そのような人物はにんげんらしいのだろうか? という疑問がある。

  

 言葉にするのが難しいが、結局、人は弱い。仮に人格が立派な人間がいたとして、しかし彼は大衆からは浮くだろう。強い人と対等に付き合えるのは、同じく強い人間だけだという気がする。強い人は愚痴を吐かずに黙々と行動するが、弱い人間は、弱い人間同士で集まり愚痴を吐き何もやらない。そしてその方がはるかに楽なのである。

 

 友達と話している時に、「お前と話してると辛くなることがある」と言われ愕然とした。なんで?と聞くと「なんでも知ってるから/俺が興味を持っていたことを大体やっているから」ということを言われた。思い返せば、私の周りで気があう人間は、エネルギッシュでどんどん外に出て行く人が多い。そしてそれは自分と似たタイプの人間である。教室でグループを作って生き延びるような人種(これは軽蔑しているのではない)と話すと、大体話が続かないか、びみょう…な顔をされる。

 

 本音は、そんなの知ったこっちゃないわ、である。しかし彼らを弱いから、と切り捨てるのは傲慢だとも思う。そういう考えが出てくること自体が傲慢なのか?分からない。

 

 これだけははっきりしている。世の中には、向上心がなく、開いた口に飯が飛び込んでくるのを待っている人間も多く存在するということ。自分のような人間は少数派だということ。

 

 真っ当に生きたいと願う人は孤独だなあ……と思う。自分はその孤独に耐えられる側の人間だと思っているけれど、どうだろうな。人の真価なんて極限状態にならないと分からないから。

 

雑記:

カフェで二時間ほどよしながふみを読みふけり、とても良かった。