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大学を休んでいる間、サボらないための日記

電車の窓の歪んだ像

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 これは妙だなという質問に遭遇した。

 

 鏡に映るあなたは歪んで見えますかという質問で、まあ心理テストのようなものだ。しかし、自分で歪みを自覚できたら、それはもはや歪みではないのでは、という疑問が拭えない。思わずその場で逆質問してしまった「歪みって自分で気がつかないから歪みじゃないんですか?!」 それを聞いてきたお姉さんを苦笑させてしまったことだけ反省している。

 

 何事もその渦中にいるときは気がつかない、という話が私は大好きで、何度も語ってしまう。これは数少ない世の真実だという気もする。歪みは特性の別名であり、本来ならばそれはただの現象だ。そこに意味づけをするのは人間であり、その際には多分な偏見が挟まることが多い。

 

 今日も地下鉄の窓に映る自分を見て暗い気持ちになる。私の鼻は低い。私の目は小さい。私の顔は丸い。ここがもう少しこうなら、ああなら。窓に貼られた広告の中で微笑むモデルと比較しては、深くため息をつきたくなる。

 

 しかし、考えてみると、鼻が低いのも目が小さいのも、それはただの造形であり、本来そこに優劣はないはずだ。誰がそこに意味づけをしたのか?一体私は何と比較しているのだろう?

 

 まあそんな簡単に開き直れないのが世の常である。しかし一度でも、自分でも気がついていなかったコンプレックスに気がつくと、それはもはやコンプレックスではなくなる。いや、それに苦しめられるのはあまり変わらないが、それは無知の知とでもいうべきものになる。だから、真の意味での歪みは決して自覚されない。地下鉄の窓に映るモンスターは、ほんとうの姿だ。あなたにとっては。