深い海の長い沈黙
やればできる論者と非常に相性が悪い。
日頃そういった人を避けて暮らしているのだが、どうしても関わらなければいけない事態は発生する。それは大体仕事の場面なので、さらによろしくない。
人が教えてくれたことに対して返事をしなければならない。「これは、こうするんやで」はい、が言えない。なぜならその人はもし私が少しでも間違えれば、嫌味を言うことを知っているから。何も言われたくない。私のことは放っておいてくれ。完璧になんてできないんだから。努力しても。むしろ頑張れば頑張るほどポンコツになる私を、あなたはきっと理解できないだろう。
あなたは私に仕事を続けて欲しくなかったと言う。私もそう思うので、黙り込む。返事をしろと怒られる。そりゃそうだ、私が悪い。分かっている。発声をコントロールできない人間が、こんな場所で働くべきではない。全く合理的だ。そう思っていながらも、私の我儘だと分かっていても、お金と自己実現の場所は必要だった。できないと決めつけていた接客をしている、お客さんに笑顔で話しかけられる、それに応えられる。全部夢のようだった。死ぬ気で頑張ったが吃音が完治しない事実に絶望して、それでも人と関わることが好きだから、時折ひどく吃っても気にしないメンタルを身につけて続けてきた。
ある種の人にはこの努力が見えない。-4を-1にするような、泣きながら血豆を潰しながら穴を埋めてきた努力を、まだ凹んでるから頑張れ、と平気で言い放つ。なぜなら彼らはそれをしてきたから。しかし彼らにはそもそも穴が空いていないか、僅かな凹みしかなかったのに。
こんな愚痴をいつまでも続けても仕方がない。明らかに向いていないと分かっていても、何かをやるべき時はあるし、やらなければいけない時がある。それはもう腹を括って飛び込むしかない。そこから無事に帰還できるかは運だが、長い沈黙ののちに深い海から還ってきたあなたは勇敢だ。誰がなんと言おうと。