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大学を休んでいる間、サボらないための日記

肩の上の小さい自分

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 昔から文章をよく書く方だった。日記やら妄想やら漫画やら、安いノートに書きためて、親に見つからないように机の奥底に隠していた。

 時々それらを見返す。すると、恥ずかしさで死にそうになる(実際にいくつかは処分した。完全に黒歴史だ)。

 

 誰かのエッセイで、手垢のついた文章はよくない、という記述を見た記憶がある。その時は意味がよく分からなかったが、今はよく分かるようになった。

 

 作者の自意識が透けてみえる文章がある。頑張っておしゃれな文章にしてみました、どや! みたいな文章は、だいたい読者にバレている。興が冷めるのだ。これは、例えが悪いが、素人ではない素人のようなものだろう。床上手な処女というか、矛盾しているが、エンターテイメントとはそのようなものであると思う。努力の跡を見せてはいけないのだ。

 

 昔の文章を読むと、頑張った自分の痕跡がありありと残っていて、顔が赤くなる。今では、客観的に推敲できるようになった。集中して文章を書いた後に、肩の上の小さい自分が、これはイキってないか?この表現はきつすぎないか?とチェックをする。

 

 自分を客観的に評価できる能力が、大人への入り口なのかな、とも思う。それは、世界の中心が自分という状態から、そうではなくなる状態への遷移だ。主観的な世界の万能感は長く続かない。しかし、自分が二人いる世界も、それはそれで楽しいものだ。