休学中ですブログ

大学を休んでいる間、サボらないための日記

日常は続く、ゆっくりと坂を転がりながら

(これを書いている)本日選挙があったので選挙の話をします。

 

 私が自主的に選挙に行ったのはこれで3回目だ。初めての時は、何も調べずに行き、適当に目についた名前を書いた。2回目には、事前にネットでマニフェストを調べた。今回は、政見放送を見たり各政党の傾向を調べてなるほどとなってから行った。人間成長するものである。

 

 実はずっと政治が嫌いだった。正確には、中学高校で教えられた政治・経済という科目が嫌いだった。教科書に書いてある内容は全て机上の空論に思えたので、バカらしくて真面目に学ぶ気が起きなかったのだ。参議院衆議院、公正な仕組み、互いに監視し合っている?ニュースや新聞を見ればマニフェストが守られていないことなんて分かっていたし、この綺麗事を勉強して何になるのと感じていた。

 

 私は行動が伴わない発言をする人物が苦手なので、それが政治に対する苦手意識につながっているのだろう。少し前に、霞ヶ関文学の存在を知って爆笑してしまったのだけれど、政治という世界は私の美意識から遠く離れた場所にあった。

 

 ところで、私のSNSは知人ばかりではなく発信力の高い人を幅広くフォローして、世間の情報がなるべく公平に流れてくるようにしている。私は本当に無知な上、興味のあること以外には腰が重いため、TLの人々の声には随分と勉強になる部分がある。そのようにして情報収拾をしていると、次第に、これはキナ臭いと思うようになっていった。世間で何か事件が起こるたびに、マスメディアの報道だけでなく、ネット上の分析も合わせて読むことで、母国に対する不信感が次第に湧き始めた。

 

 そういった感情が一気に高まったのが、就活を初めてからだったように思う。大学2回生までの私は、本当になんの根拠もなく、我々の未来はまあ大丈夫だろうと思っていた。それはほとんど何も考えていないのと同義だ。日々の課題に忙殺され暇もなかったので、しょうがない。という言い訳しかできない。(余談:しかしこれは、勉強ばかりしてきた真面目で素直な高学歴大学生が陥りがちな部分ではないのか、とも感じる。)

 

 就活を始めて割とすぐに、この社会が持続する未来が見えないぞ、と感じた。私はメーカー志望だったため、資本主義に疲弊している雰囲気や、行き詰まっている雰囲気を余計に感じやすかったのではないかと思う。また私は吃音もちであり、それは就活ではあまり有利な要素ではない。馬鹿正直に吃音のことを書いたり話して落ちるたびに、(もちろん相性が良くなかった会社もあるが)自分を偽らずに健常者ベースの社会に参入する厳しさを感じた。

 

 非常に単純というか、想像力がないというか、私が社会の仕組み≒政治に詳しくならねばと切実になり始めたのは、その辺りからだ。人間は体験したことしか理解できないという話であり、当事者の気持ちは当事者にしか分からないという話でもある。しかし、

 

 私はこの社会において弱者である。

 

 と、若くして明言できる人間がどれだけいるだろう。若さというのは傲慢になりがちだが、大きな不幸が排除された現代社会では、その傾向が助長されるように感じる。生まれつき直せない障害があるとか、在日だとか、望んだわけでもない”不幸”を持つ人々ぐらいしか、自分のことをそうだと認識できないのではないか、と思っている。

 

 集団がマジョリティに優しいのは当たり前だ。民主主義において、マイノリティの声が非常に届きにくいことも分かっている。しかし弱者の生きやすい世界は、多数派にとっても生きやすい世界だと私は信じている。だから、私はこの世界の構造を勉強して、自分が生きやすくなるためにはどうすればいいのか考えたい、と思うようになった。

 

 それから、マニフェストを読んでなに書いてるのかさっぱり分からん!となったり、そういや右翼左翼の違いも分かってなかったので全く畑違いの政治集団の中に飛び込んでみたり、いろいろあったけれど、長くなったのでここら辺で切ります。それでは。