休学中ですブログ

大学を休んでいる間、サボらないための日記

サバイバーのDNA

f:id:tretretretre:20190801000331j:plain


 

 

 早朝から海に行った。親が釣りに行くと言ったので、便乗したのだ。実家暮らしの特権である。

 

 ところで、親に対する複雑な感情を、どう言葉にしていいか未だに分からない。成長すればするほど分からなくなる感じがする。一人の人間として親を判断できる知性を身につけた時、大概の人は落胆するのではないかと思う。「俺はこんな人間から生まれたのか」と。

 

 もちろん個人差はあるし、様々な事情もあるので、大雑把に語られる話題ではないだろう。私自身に関して言えば、親のことは尊敬しているが、好きという感情がついてこない。ただ、親というのはそんなものかなという気もする。好き嫌いで語るには、多くの出来事や感情や記憶が間にあるので。

 

 テロテロのTシャツと高校のジャージで、波止場に座って釣竿を垂らす。私の一番の目的は海を見ることなので、釣りはそこまで真剣にやらない。ただ、釣れた魚から針をとる方法や、血抜きの処理など、そういういう知識を教えてもらえるのは好きだ。さらに、釣り針が手に刺さると痛いしなかなか取れないだとか、魚は思ったよりヌルヌルしていて掴めないだとか、手についた鱗は乾いて白くなってから分かるだとか、実際にやらないと分からないことがたくさんある。いくら本を読んでも、魚が逃げず潰れない程度の力加減は書かれていない。色見本ばかり見ていても、生きている魚のエラの生々しい赤色は作れない。夜明け前に到着したので、日が昇ると一気に気温が上がったり、海面が徐々に下がっていったり、そんな自然の変化をただ観察しているだけでも楽しい。ずっとパソコンと向き合っている同級生に、外に出ればいいのに、と言いたくなるのはこんな時だ。外に出るだけで、百ほどインスピレーションが得られる。しかもそれは自分だけの一次情報だ。

 

 しかし私がこんなことを言えるのも、恵まれているからというのを忘れてはいけない。

 

 私の親はたまたまアウトドア好きで、だから子供にも、山の登り方や火の起こし方やテントの張り方や釣りのやり方を仕込んだ。その子供の一人が私だったのは偶然だ。珍しい体験を色々させてもらった経験が、今の私の生命力や発想力に繫がっていると感じるため、その偶然には感謝している。思うに、いくら親のことが苦手でも、私のサバイバル能力のように、気づけば受け継がれているものがある。それは常にプラスの要素だとは限らないだろうが、そういう抗えない大きな流れは確実にあると、釣った魚を見ながら考えた。だから素晴らしいというつもりは毛頭なく、私は親との関係を拗らせている部類に入るため、とても腹ただしいという話である