映画・愛がなんだを観た
愛がなんだを観ました。この映画を知ったきっかけは、彼氏と同棲している知り合いが、観たらズタボロにされそうと言っていたからだった。どないやねんと思っていたが、結果、心に棘がグサグサと刺さる作品だった。
上映中何回も、やめたげて~それあかんやつやから!切なさで死ぬから!と呟いていた。自分のしょぼい恋愛遍歴では全ての登場人物の感情を理解はできなかったが、主人公・テルコの気持ちはグサグサと突き刺さってきた。というかこの女優さん、表情の演技がうますぎる。
結局、どうでもいい人に対してはラフに接して好かれ、恋しい人に対しては気を使いすぎるあまりに嫌われるという、究極の真理を描いた作品だと感じた。幸せの絶頂で突っ走るテルコが、玄関先で守に、俺そういうとこ少し苦手と言われる場面の演技が!守の表情が!今まで何一つ愛に疑いがなかったテルコが初めて表情を曇らすのが! あ~やっちまったな~という感じで心にクリーンヒットした。なぜなら自分にもその気があるので。
しかしこれは誰でもそうなのではないか。好きな人に対してはキモくなるし、相手のためと言いながら自分のためだったりするし、尽くしても何も残らないどころかマイナスだったりする。
テルコの守への感情は、好きとか愛ではなくもはや執着だ。自分の気持ちに蓋をしてまで守と会える道を選択するシーンや、無職のテルコが象の飼育員になり、いまだに私はまもちゃんになれない、と独白するラストシーンには、うっすらと狂気すら感じる。しかし、この合理性のなさこそが人間味なんだろうと思わなくもない。そうそう、結局人間は動物で、馬鹿で、効率の悪い関係性に身を捧げて振り回される。それが良いか悪いかは私の判断の及ぶところではないが、少なくとも、その葛藤だとか回り道にドラマが生まれる。だから、一見クズで無駄と思えるものも無駄ではないのだ。その最中にいるのが苦しいのは言うまでもないが……
しかし守がすがすがしいほどのクズだったな。恐ろしいのは、こんな人は割と現実にいるし、自分にだって片鱗はあるということ。純粋な恋がしたいと願ったって、その本質はこんなものなのだろう。
と嘯いてみる。