休学中ですブログ

大学を休んでいる間、サボらないための日記

花で囲まれた写真のこと

 花で囲まれた、綺麗な女の子の写真をネットで見た。あ、いいな、と思って、写真が貼られた記事を読み進める。間も無く気がついた。これは遺影だ。

 

 モノでもコトでも、第一印象とのギャップに気がつく瞬間はいつも、時間が止まるようだ。敬愛する深澤直人が、著作の中で言っていた。「デザインは、First wowとLater wowが大切だ」と(意訳です)。しかしこんな形でそれを体感したくなかったな、と思う。

 ほんとうにそうだろうか?

 実際は、こんな風に衝撃を突きつけられでもしないと、我々は日常の暗部に目も向けないのではないのだろうか。

  

 ガラスの下を通り過ぎていく言葉と、僅かな指の動きで交わされるコミュニケーション。とても薄っぺらだと思う。それがいいか悪いかは分からないが、我が身を振り返って考えると、ネットを見る行為が良い体験につながったことはあまりない。綺麗にレイアウトされた可も不可もない文章を追って、何かを知った気になる。実際にはなにも手に入れていないのに。

 

 ここ数日、表現の自由について議論が起こっている。発信された記事(表現)に、傷ついたとクレームがつく。私は、生きて何かを発信する以上、360度に配慮することは不可能だと思っているので、不快でない表現をしろと迫る人々こそが表現の自由を狭めているんだなあ、と思う。彼らは考えないのだろうか?自分が不快なものとされ、彼らが求めた「表現の自由」により排除される時のことを。

 

 冒頭の記事は、ハーフの女の子が日本社会に馴染めずに自殺した事件を書いたものだった。それを読んでやるせない気持ちになった。立場なんてものは容易に変わりうる。彼女だって、違う国で生活していれば、死なずに済んだのかもしれない。私は生きることそのものが表現行為だと思っている節があるので、どんな生まれでも思想でも、排除されることなく生活できる場所があればいいなと思う。それが表現の自由の根幹にあるものだと考えている。今の日本でそれが守られているのか?については、私の手に余る問題ではある。