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大学を休んでいる間、サボらないための日記

若く弱々しい女であること

 ここ数日、知人にお祝いでモノをあげる機会が続いた。そこで改めて、人のためにお金を使うってやっぱり良いもんだな、と思った。自分一人だったらそんなに使わないし。根底にあるのは自尊心の低さ(自分なんかのためにお金を使うのはもったいないと言う思考)なんですがね。それでも良いもんは良い。

 

 その一方で、最近では、私はサロンに通ったり、高い化粧品を買ったり、良い財布を買ったりして、自分にもお金を使える人間に変わりつつある。新しい服ですらケチって買わなかった自分がですよ。これは本当に驚くべきことで、人は変わるんだなあ(というか、回復するもんだなあ)としみじみしています。

 

 さて、本題ですが、私は早く歳をとりたいと思っている。休学してから、より一層、そう思うようになった。それはなぜかというと、若くエネルギーが有り余っている状態というのは、私にとって非常にしんどいことだからです。精神的に未熟だし、経験も少ないし、些細なことで人に腹を立てたり、悲しくなったり、死にたいという気になる。特に、他人の何気ない言葉や目線に傷ついて布団の中で泣くというのは、いつまでたっても苦しいものです。

 さらに、若さとは傲慢なもので、すぐに「自分だけ…」という思考になってしまうのも非常によろしくない。結局、悲劇のヒロインになることで、自分を特別な存在だと感じたいのですよね、そういう行動って。

 

 人は誰しも自分を特別な存在だと思っている。(しかし現実にはそうではない)

 

 私の中で、大人の定義というのは、自分が特別な存在ではないと思い知り、それに対して世を拗ねるのではなく、自分なりに工夫して生きている人です。私は勉強しなくても賢い。私は何もしなくてもチヤホヤされる。私はいつも庇ってもらえる。そういう「私は無敵だ」という感じは、いつまでも続かない。当たり前だけれど、未熟だとそれが分からない。

 私は下手に勉強ができ、また、障害があったせいで、それに気がつくのが遅れたと思う。私はいつも泣いてばかりで、周囲から「よくわからないけど、かわいそうな子」と思われていた。私自身もそれに甘んじていた。しかしその状態では成長も何もないんですよね。若くて弱々しい女の子というのは、周囲から優しくされる代わりに、無自覚に自分を損ない続けている。

 

 私は今、なんとかして自分を世間に馴染ませようとしている(と、思う)。ありのままの自分を晒さざるを得ない病だからこそ、他人に裸の自分を晒す無力さに慣れなければならない。引きこもる、人と話さない職に就く、という選択肢もある。だけど私は人と関わるのが好きなのだ。そうでなければインタビューの仕事や接客業をあれほど好きにはならなかっただろう。

 

 つまるところ何が言いたいのかというと、早く、歳をとった逞しい女性になりたい〜〜〜ということです。まあ、望む望まざるに関わらず、そう変化していくものなのかもしれませんが。